華蔵院・住職の紹介
相模原市の北西端。鎌倉往還の町田街道、相模湾へと注ぐ境川沿いに位置する。南の大門を目前にすると、樹齢450年とも言われる境内の大銀杏が甍を突き抜けるように勇壮にそびえ立つ。現在では相模原市の保存樹木に指定されている。
明治の神仏分離まで五柱の神社の別当を勤めていた名 残で、牛頭天王懸佛(ごずてんてのうかけぼとけ)の御神鏡を守護。明治28年に近隣のもらい火で本堂などを焼失したが、平成9年に壇信徒の熱望により本堂、仁王門を造営。以降、境内の拡張や整備、写経会、法話の集いなど壇信徒と親睦を深め、歴史的な由緒だけではない地域に根付いた諸活動を推し進めている。
華蔵院住職 保永 秀賢(やすなが しゅうけん)
真言宗智山派の当山、華蔵院は阿弥陀如来を本尊として、541年前に秀慶和尚により開創されました。
明治の神仏分離令以前は、真言宗の神仏不二の信旨にならい、鎮守・相原八幡宮をはじめ、五柱の神社の別当寺として広大な寺領を擁し、地域の冠婚葬祭、祈願など地域文化、経済の中核となり共に歩んできました。
明治28年の本堂などの焼失では、かろうじて持ち出した本尊等を仮本堂に安置。戦後は、農地解放令により経済的基盤のほとんどを失いながらも、先代住職は法類の高尾山薬王院に奉職するかたわら、墓地の整理などで増えた壇信徒の信援を得て今日の基礎を築き、平成5年、現薫・第29世 保永秀賢が引き継ぎ現在に至ります。
これまで推進してきた境内の拡張や整備で壇信徒の教育、育成や親睦を図る諸活動は一応の成果を上げています。 しかし、一旦、当山壇信徒の外へ目を向けるとき、無宗教を標榜する人が増え、都市生活者にとっては、寺院、教会施設の敷居は高く、なかなかこれに縁付くことができません。冠婚葬祭は単に経済活動の一つとして捉えられてしまう傾向にあります。お檀家以外から依頼されるご葬儀の8割が葬儀社を通しての依頼という現実も、これは宗教者の教化活動の怠慢、檀家制度、家族制度に寄りかかった姿勢に大きな要因があることは明らかです。
これを自戒し、華蔵院壇信徒にとどまることなく、広く社会一般に向けて宗教の根本義である「人として如何に生きるか」という現在的課題を共に悩み、共に乗り越える働きかけをし、有縁壇信徒の教化育成、以て 真言宗智山派の聖法興隆を期するところであります。
ご家族を亡くされた方々にとって、身近な埋葬先が無いことはとても深刻な問題であります。都市部においては老人介護施設、墓地は特に重要な課題の一つです。さらには人同様、家族同様に暮らすペット事情に考慮し、座間リバーサイドメモリアルでは、ご一緒に入れるようにも考えました。仏教の教えでは「生きとし生けるものすべて仏になりうる」との教えがあり、また旧くは牛馬供養の習俗など、命の尊厳に感謝する姿勢に違いはありません。
社会環境の変化の現状を厳しく観察し、現代社会の求めに従って、他宗派、無宗教を問わず広く門戸を開き、管理の行き届いた安価で利用しやすい霊園を提供していきたいと考えております。
一切衆生皆悉成佛(いっさいしゅじょうかいしつじょうぶつ)